徳田耕太郎は日本のフリースタイルフットボールプレーヤー。プレイヤーネームは「Tokura」。2012年にアジア人として初めての世界チャンピオンになる偉業を達成。
エアムーブ、アクロバット、シッティングが得意なスタイルで華奢な体格ながらダイナミックかつスピーディーな技の展開が特徴。
基本情報
選手名:Tokura
本名:徳田耕太郎
出身:愛媛県大洲市
大会成績:RedBull Street Style World Final 2012 優勝、RedBull Street Style Japan Fianl 2012 優勝、RedBull Street Style Japan Fianl 2009 優勝
好きな食べ物:エビ
利き足:右
クロスボディ:右
Instagram:@tokura_freestyle
Twitter:@TokuraFreestyle
使用シューズ:ガッツレーOG(アディダス)
使用ボール:Monta Ball
略歴
フリースタイルフットボールとの出会いから愛媛での活動
小学生からサッカーをやっていたが、中学入学後に通称NIKE本と言われるフリースタイルフットボールの雑誌に出会い(現在は廃刊)、独学で始める。中学校3年時に練習中に頭を強く痛め脳挫傷になりサッカー等の長距離系の運動はドクターストップとなった。リフティングを主軸とするフリースタイルフットボールはOKだったため以前よりハマっていたがさらに熱中するようになる。
その後学生のうちから地元愛媛県で当時一緒にフリースタイルフットボールをやっていた実兄や仲間と「Team-Lingo」を結成しパフォーマンス活動を開始。余談だがこのチームにはその後2回日本チャンピオンとなり世界大会でも優勝経験があるHIRO-Kもメンバーとして在籍しており、後々になって判明することだがレベルが非常に高かった。
RedBull Street Styleでの日本優勝まで
地元中心ではあるが数多くのイベントに出演する。2009年には自身としては初となる大会へエントリーし、「RedBull Street Style」の名古屋予選で5位入賞となり、他の2か所の地域で開催された地区予選を勝ち上がった計15人と、前年の日本チャンピオンであり世界大会で準優勝となった横田陽介を加えた計16人で争われる決勝トーナメント(RedBull Street Style Japan Fianl)へと駒を進めた。
尚、地区予選で5位だったのはこの名古屋予選を優勝したYO(トリックスター)に途中で敗れたためであり、実力的には地区予選自体も優勝が狙えたが初の大会出場だったこともあり審査基準の考察や場慣れが足りなかったと本人は回顧している。また、予選の途中では後に日本大会を3連覇することとなるKo-sukeとバトルして2-1で徳田が勝利していたりと地区予選とはいえ非常にレベルが高かった大会と言える。
横浜赤レンガで行われたRedBull Street Style Japan Fianlでは、地区予選5位という結果も影響して1回戦から前年覇者の横田陽介と当たることとなってしまう。
下馬評では横田陽介有利とされていたようだが、この決勝トーナメントに備えて用意してきた新技「バックフリップリリース」をバトル中盤で披露し見事成功し、2-1の判定で勝利。
その勢いのまま勝ち上がり地区予選で敗れたYOにも準決勝でリベンジを果たし見事優勝。初のタイトル獲得となった。
大学進学と世界大会への参戦
2010年からは帝京大学に進学し、拠点を愛媛から都内へと移す。春には2009年で勝ち取った世界大会への出場でRedBull Street Style World Final 2010に出場するが、直前に足を負傷したり、予選から後の世界大会複数回優勝することになるイギリスのアンドリュー・ハンダーソンと当たることとなったりと、厳しい条件が重なりまさかの予選グループ敗退となった。
しかし日本代表として世界大会に出場したことで世界の中でも知名度はあがり、翌年の2011年にはMaster Of The Game(ドバイで開催)やWFFC(マレーシアで開催)といった招待制の世界大会にも出場することになり、世界大会での経験を積んでいく。それぞれ決勝まで届かなかったものの、優勝者に惜しくも敗れるなど着実に実績と経験を積んでいく。
特にWFFCでは大会ではバックフリップクラッチ(通称トクラクラッチ)を初披露し、フリースタイルフットボールプレイヤー達に衝撃を与えた。
2012年には第3回大会となるRedBull Street Styleの国内予選が開催される。前回大会の優勝者ながらスーパーシードはなく、地区予選からの出場となったが東京予選でBest4に入り無事決勝進出を決める。(準決勝でYOSSHIに敗れる。東京予選は決勝でYOSSHIに勝った横田陽介が優勝。)
名古屋で行われた決勝トーナメントでは、順調に勝ち進みNaoとの決勝戦まで予選からずっと温存していたバックフリップクラッチを国内大会では初披露。ジャッジを悩ませる接戦となったが、2009年に続いてRedBull Street Style Japan Final2連覇を果たし、同年開催されるイタリアでのWorld Finalへの切符を手に入れた。
同年プラハで行われたオープンの世界大会Superballにも出場したがBest8でロシアのタラコフに敗れた。
世界大会(RBSS World Final)優勝
イタリアで開催されたRedBull Street Style World Finalではこれまでの世界大会の実績や練習での完成度、またSuperBallやそれまで徳田が出場してきた世界大会のジャッジ基準とは異なり、より徳田にフィットしているであろうことから優勝候補として名を挙げられていた。
予選でも前回の反省を生かし下馬評では有利といわれている相手であっても全力のルーティーンをぶつけ予選を全勝し決勝トーナメントへと駒を進める。
トーナメント初戦では前回の準優勝者である南アフリカのKamalioと対戦。クリエイティビティな技を繰り出してくるKamalioに対して、スピードにのったシッティングやバックフリップクラッチを決め4-1の勝利。
準々決勝ではこの時ダークホースとして恐れられていたコロンビアのBoykaと対戦。Boykaは予選でも徳田の最大の武器としているバックフリップクラッチをこの大会時点では唯一徳田以外で成功できる選手であったため、事実上の決勝戦ともいえた。しかしBoykaがやらないバックフリップリリースや、流れるようなシッティングのフローで差別化しこちらも4-1で勝利する。
準決勝では強豪ポーランドの代表であるMikolajと対戦。徳田を警戒し難易度の高いルーティーンにしたことでミスが多くなったMikolajに対し、ほぼミスなくまとめあげた徳田が5-0の完勝。
決勝ではアイルランドのダニエル・デネヒーと対戦。この時会場にいたフリースタイルフットボールプレイヤーや関係者はダニエルを徳田に続く優勝候補と高い評価をしていたが、日本のフリースタイルフットボールプレイヤーはなんでダニエルが決勝に残ったのかわからないくらい評価が低かった。(そのためこの時点で徳田の優勝はいけるのではと期待値が高まったいたらしい。)両者それまでの疲れからかミスが目立ったが、最終的に今大会通して評価されてきたバックフリップクラッチと流れるようなシッティングフローを見せ見事徳田が優勝。
アジア人初、また当時最年少でのRedBull Street Style World Final勝利となった。
マイナーな競技だったため、滅多にメディアに取り上げられることがないフリースタイルフットボールであったが、この時は主催がレッドブルであったことや他の種目(ブレイクダンスなど)でもまだレッドブル主催のストリートスポーツでの優勝者がいなかったこと、サッカーに関連する競技で日本人が優勝したこと、イタリアの会場の雰囲気がかなりかっこよかったことなども後押ししてか、テレビを中心としたマスメディアで大きく取り上げられることとなった。
SMAP!SMAP!やいいとも!、VS嵐など今はもう打ち切りになってしまった番組も多いがタレントの出演している番組にもゲストとして呼ばれ、徳田耕太郎本人とフリースタイルフットボールの知名度を飛躍的に上げることとなった。
優勝後の活動
優勝後は全国各地でのパフォーマンスやイベント出演で引っ張りだことなり大会用の練習に割ける時間は徐々に限られていくことになる。
それでも2013年のSuperBallではBest4まで進出し、同年には当時史上初の2連覇を目指し日本で開催されることとなったRedBull Street Styleに国内予選なしのウルトラシードで出場するが、この年の優勝者となるポーランドのSzymoに準決勝で破れた。この挑戦の様子はドキュメンタリーとしてテレビ朝日のGetSportsで取り上げられた。
2014年には再度国内大会から出場し日本代表を目指すも準々決勝でYasuに1-2の判定で破れ出場してきたRedBull Street Style Japan Finalでは初めて代表の座を譲ることとなった。(優勝は決勝でYasuを破った同郷のHIRO-K)
その後JFFCやSuperBallなど国内外の大会に出場するもジャッジ基準の変化や仕事としてのフリースタイルフットボールが忙しいことも影響し2012-2013年のピークの成績を残すことはできなかった。
しかし2014年に大きく話題となったカップヌードルの侍のCMなど、露出は引き続き多く、現在の国内でのフリースタイルフットボールの知名度、いまだ他の日本人はおろかアジア人でも達成できていないRBSSでの優勝という功績を踏まえ、最も日本で有名かつ功績を残したフリースタイルフットボールプレイヤーであるといえるであろう。